この前ブルートレイン富士・はやぶさが春のダイヤ改定で廃止されるというニュースを見ました。
昔鉄道ファンだった自分にとってはとても寂しいニュースでした。
そこで昔の記憶があるうちに富士との思い出をココに残しておこうと思います。
小学校4年生と6年生の夏に九州宮崎から神奈川県にいる親戚宅にブルートレイン"富士"に乗って一人旅をしました。鉄道に興味を持ち始めたのはその4年生の一人旅がきっかけでした。4年生の時富士は東京ー西鹿児島間を走る日本最長距離列車でした。が、同年の10月ダイヤ改正で運転区間が東京ー宮崎間となり日本一の座を東京ー西鹿児島間を鹿児島本線周りで走る"はやぶさ"に受け渡しました。富士が宮崎止まりとなって嬉しかった反面、日本最長距離列車でなくなったのがとても残念でした。
夏休みを利用しての旅だったので、真夏の宮崎駅で駅独特の匂いのなか1番フォームに着くDF50の富士をまだかまだかと待っていたのを思いだします。当時宮崎ー西鹿児島間は電化されたばかりでしたが、宮崎まではこのDF50が引っ張ってきてくれました。
写真提供: 下島張次様
その時、見送りには家族とお婆ちゃんが来てくれてました。"お前にはちゃんと口がついちょるからわからんことがあったら誰かに聞かにゃ"と言われて出発しました。
宮崎からは赤いED76が門司駅まで引っ張っていきます。当時東京-大分間は13両編成で大分-西鹿児島間はお客も少ないせいか基本編成の6両となってました。今でも覚えてますが1980年の時刻表だと午後12時37分に宮崎発です。自分が乗った客室は5号車のオハネ25形のB寝台、2階建てベッドでした。
このB寝台車は向かい合う席とあわせると4人で長距離を過ごす事になります。宮崎駅を出たときは一人で乗ってましたが、延岡駅からは小学校の先生をしているという工藤さんとその娘(リカ)さんが乗ってきました。もう一人はまったく覚えてません。
工藤さんには一人旅をしてること、横浜駅で降りることを告げ色々と面倒を見ていただきました。この工藤さんのお陰で"富士"の食堂車でハンバーグ定食を食べる事ができました。最初で最後の食堂車での食事。ちょっと小さめのハンバーグで味はやや辛かったような。
富士は大分駅を過ぎ倍の長さの13両編成になります。カーブに差し掛かるたびに後ろに見える長い車両を眺めていたのを思い出します。富士は門司駅でED76から関門トンネル専用のEF30にバトンタッチされ下関駅に向かい、下関から東京まではEF65が引っ張っていきます。1980年ごろは下関まではヘッドマークがありませんでしたが、下関からやっと富士のヘッドマークがF65につけられ東京に向かいます。
碓水峠鉄道文化むら
なぜかこのステンレスで覆われたEF30が好きでした。
4年生のときは兎に角、外ばかりを眺めていたような気がします。でも、6年生の時は違ってました。カメラを持って車両の隅々まで写真を撮ってました。特に門司と下関では機関車が変るところを撮ったり、大きな駅では停車時間の間は外に出て他の電車を撮ったりと、乗ってる間は興奮して夜も眠れなかったのを覚えてます。
東京に行っても上野駅や交通博物館に行って相当な数の写真を撮りましたが今では何処に行ったのでしょう。今思えばとても貴重な写真ですが、実家の引き出しでも閉まってあることを願ってます。ひょっとしたらもうとっくに捨ててしまったのかもしれません。せめてネガだけでもあればよいのですが。
もし日本に居たら廃止前にまた富士に乗って日豊本線、山陽本線、東海道本線を通ってもう一度一人旅をしたかったぁ。もう、それが出来ないのがホント残念。ひょっとしたら小学生のときに感じた思いや風景など何かが思いだせるような気がします。もうこれからそういう思いも出来なくなると何か寂しいものです。
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